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紅葉の季節、西国街道の要所だった
大阪北部の高槻へ!
高山右近の夢の跡〜

我家から〜高槻へ 01


だからいつもの神社と路地・旧村探し〜
「鶯の啼くや鵜殿の河柳」蕪村。。。
相棒自転車は久々のUFO先生T号とブロ君達!
今年の目標はフルサイズ!

※マウスポインターを置いてください。 
                                           撮影:平成29年11月04日
                                           UP日:平成30年03月29日

本日の集合場所は
JR高槻駅前〜
ボチボチ自走です。
UFO先生T号
(名匠西埜さん作と伺いましたが〜)
 
※旭区の淀川堤から
走り出します〜

台風21号での大雨の影響で
堤の中ほどまで水が上がった跡が〜

※昔此処で草野球しましたわ〜

右の堤防には
ゴミが水位を示しています。

※第21回大阪・淀川市民マラソン
横断幕横目に…

仮設トイレの数!!!
足りないんでしょうね。。。

※セルフポートレート

鳥飼大橋



水位計
大変だったのでしょうね〜

※枚方大橋を渡ります〜

かぎや浦には碇がいらぬ 三味や太鼓で船止める
三十石船唄の一節。

くらわんか舟(-ふね)とは江戸時代、淀川を往来する大型船に対して
飲食物を売っていた主に枚方地方の小舟のこと。
貸食船(煮売船・にうりぶね)とも呼ばれ、
公式には茶船と呼ばれていたが、
くらわんか舟・食らわんか舟という俗称が定着した。
過書船は、大坂天満橋の八軒家船着場から
京都の南、伏見豊後橋まで、淀川(10里13町27間)を、
昼夜兼行で往来したが、荷物は200石ないし300石積で、
旅船は30石が普通であったから三十石船ともいう乗り合い船であった。
途中の船着き場には岡場所が多く下船者が多いため、
「途中下船は切符無効」の賃銀制度が設けられ、
とくに枚方宿は一番の盛り場であった。
枚方で停船しようとする三十石船に鍵爪をかけて近づき、
飯や汁物、酒などの飲食物を販売していた
小舟(店主2名乗船程度)が「くらわんか舟」と呼ばれていた。
汁椀など食後の食器は要返却となる。
食器数で清算したので、川底からは当時の食器が出土するとか〜
(Wikipediaより)


※枚方大橋
中世以前、淀川には長柄橋山崎橋という2つの長大橋が架けられていたが、
度重なる流失・破壊と中央集権体制の弱体化により維持できなくなり、いつしか廃絶となった。
それ以降、明治維新以前には淀川の大川と中津川分岐点より上流には橋が架けられた記録はなかった。
枚方宿の近くには、昭和時代以前は現在の橋付近に渡し船があった。
1930年に初代の枚方大橋が完成し、2車線の道路橋として使用された。
両端部は15連の直弦トラス構造であり、京阪電気鉄道の
旧宇治川・木津川鉄橋を転用のため移設したものである。
また、中央部は2連の曲弦トラスが新規製作された。
現在の橋は2代目である。
旧橋の老朽化による代替と交通容量拡大のため「都市計画道路枚方高槻線」の一部として計画され、
1967年にまず上流側の2車線分が竣工したのち旧橋を撤去し、
1971年に下流側へ拡張され両側4車線となった。

(Wikipediaより)

横目でチラチラ〜
後でね…

※JR高槻駅に向かいます〜

お待ちどうさま〜
4人ポタの予定…

※まだサンは後程参加とか〜
平成28年4月14日に九州では大震災(震度7)が熊本に…
平成28年10月21日には鳥取県中部地震(震度6弱)が〜
東日本大震災は7年目に…台風・豪雨水害被害で被災された方々に、
お見舞い申し上げます。阪神大震災も23年…今年こそエエ年に!
冬季五輪は日本勢大活躍!
マー君、お江戸へ長期貸出中。
えっ?皆様方、急遽過ぎと体調不良に家事・仕事にて
お休み〜残念!
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